ハイ、どーも
さーて今回はいつもやろうと思って先延ばしにしていた九州編について考察していきたい。と、思います
九州編はニセコイの評価が下がる決定的なものになったのは皆さんも知っての通りだと思います。
楽がクズだはよ終われだ・・・まあニセコイ好きの私にとっては(しかも単行本派)訳もわからずかなり辛かったです
そしてあのコラ画像には腹立ちました。(飲んでたジュースのペットボトルのキャップ握りつぶしそうになった。)
この件は長くなるので投稿は2回に分けたいと思います。
さて本題に入っていこうと思います。
まず否定派の主張をまとめていくと
1.助ける資格云々などを悩まずに結婚式をぶち壊すとアッサリ決断したこと
2.千棘に言われてから行動したこと。自分で気づいて行動したわけではない。
3.万里花を連れ出したことで伴う責任(誘拐など)を取らず警視総監に押し付ける
4.万里花を連れ出す算段などを立てていない
と、まぁ私が知る限りでかなりざっくりとまとめるとこんなところでしょうか。
まず1.から考えていきます
1.助ける資格云々などを悩まずに結婚式をぶち壊すとアッサリ決断したこと
これを否定派が感じたことによってキープしたいだけだとかいう主張が出てきたわけですね。
ですが楽は助ける資格云々について悩んでるんですよ。九州編の一番最初の方で。
以下引用です。
「オレは・・・・・橘のこと振ろうとしてんだぞ・・・!?
そんなオレが橘の結婚を・・・たとえ望んだものじゃなくてもどの面下げて邪魔しに行けるってんだ・・・!?
邪魔した後で・・・改めて「お前とは付き合えない」とでもいうのか!?橘本人が・・・覚悟して受け入れると決めてる運命をオレは・・・オレには・・・!!
オレに橘を助ける資格なんてあるのか!?
このように、楽は助ける資格なんて自分にはないかもしれない、というのはわかってるんですね。楽が悩んでいる描写はちゃんとあるわけです。
確かに自分には万里花を助けにいく資格なんてないかもしれない。でも、万里花が助けを求めているなら、絶望しそうになっているなら、助けにいきたい、見過ごせない。ということだと思います。
私はこれを別に悪いとは思えないんですよね。
まぁ否定派が違和感を持ったのは檻から出た後に結婚式をぶち壊すと楽が決断したときにこれがなかったからなんでしょう。
でもこの場合万里花を助けにいくと楽が決断した時点でその結婚を破棄させにいくということですから、手段が違うだけで本質は変わらないとおもいます。
逆に状況が変わったからと言って同じことを二度も三度も悩むことのほうが私にとっては違和感を感じるわけです。
ハイ、続いて2.に対する反論いきます。
2.千棘に言われてから行動したこと。自分で気づいて行動したわけではない。
これは問題になったシーンを踏まえて1.と2.の主張を合わせて考えると「責任云々についてちゃんと悩め。でもその悩みを解決するにあたって誰の力も借りたらダメ」という感じに聞こえます。少なくとも私にはそう聞こえました。
はっきり言うとそんなの無理だと思います。
そんな一人で自己完結できるくらいに割り切れるならそもそも悩んでなんていないでしょうし、心の葛藤なんて何かきっかけがなければ解決しないと思います。
そしてそのきっかけは自分の力だけでは生まれないのではないか、そう思うわけです。
この場合楽は千棘の発破によって悩みが吹っ切れた。千棘に背中を押された。千棘の発破は楽が決意するきっかけに過ぎないと言うことだと思うのです
それは全然受身だとは私は思いません。
むしろ悩みを何かきっかけなしに解決できるわけないじゃん、と言いたいです。
例えば野球選手になる夢を諦めかけた少年が才能がなくても必死に努力する他の少年を見てやる気を取り戻す、と言う話があるとします。
少年がやる気を取り戻したのは必死に努力する他の少年がいたからですよね。決して全て自分の力で解決したわけではないです。その少年の姿に背中を押されたからこそ前に進めたんだと思います。
悩みはきっかけがなければ解決しないし、そのきっかけをもらうことはその人が受身だと言うことにはならないと私は考えています。
さて、さて
今回はここまでにしとこうかと。
「お前なにこんなに熱くなってんだよ」とか「うぜえ」とかおっしゃる方もいるかと思います。私も確かに九州編以降は描写不足な部分やわかりにくい部分もあると思います。でもしっかりと描写されてる部分もなかったことにされてるような気がして少し今の批判に納得がいかないんです。
何か「ここはこうじゃないか」と言うことがあればコメントしていただけると嬉しいです。
次はいつになるかわかりませんがなるべく近いうちに記事を上げたいです。
では
い じょ う