やな二郎

アニメ、マンガ、ゲームについて駄文をつらつらと書くだけ。主にニセコイ関係が主軸になるかと思います。

ニセコイ 私が語りたいこと

どうも

さて、唐突ですが今回もニセコイに関連した内容です。

他の作品についても語りたいのですが、いかんせんニセコイは他と比べて格段に語りたいことが多いんですよねw

さて今回は例の告白シーンについて、今更ながら私の感想を述べたいと思います。

まず、私もニセコイ連載中は小野寺と結ばれるのかなーと思っていました。

だから、楽が小野寺を振ったときは

「ウソン・・・」(喪失)

てなりました。(いやマジで)

まぁのちに一巻から読み返してみたり、様々なブロガーさんの考察記事をみたりして行く内に納得していったのですが。

そしてそれはニセコイ読者にラブコメディにおいて恋実ることと同じくらい大切なものをしっかりと一二分に伝えた気がするのです。

それは、

失恋したことによる喪失感や辛さ

です。

あ、いや、当たり前だろと言う方もいらっしゃるかと思います。

しかし、これは、ニセコイに限って言えば小野寺の恋が実らなかったからこそこれはしっかりと私達の心に残った、刻み込まれたのだと思います。

なぜかと言うと、小野寺ってダブルヒロインの片割れである千棘を軽く突き放すくらいの人気があったってことは皆さん知っての通りだと思います。

小野寺が楽と結ばれれば、10年来の恋が結ばれ、綺麗にまとまったと思います。

だが、しかし、

きっとそれでは小野寺が結ばれたという影に千棘が失恋したと言う事実が埋まってしまっていたのではないか

用は「小野寺結ばれたー!感動!千棘?ああ、残念だったね」こんな感じ。

と、今ではそう思うのです。

もちろん恋が実るというのはラブコメディにおいて最重要なのはわかってます。でも恋破れたシーンをしっかりと描き、伝え、そして読者はその辛さをちゃんと感じることが、ある意味もっと大切なのではないかと私は感じます。

そして、それは千棘ではなく、読者にとってとても大きな存在だった彼女だったからこそ読者は「失恋」という辛さ、苦しさにしっかりと向き合うことになったのだと思います。

きっと千棘であれば小野寺が結ばれた、という事実の方が大きすぎて、失恋とした心の痛みとか、その他いろいろな感情とかをあまり読者に向き合ってもらえなかったと思うんですよ。

ま、これはあくまで推測でしかないので、本当はそんなことなくて、読者は千棘が失恋しても「辛い」「苦しい」という感情を感じていたかもしれません。

私が単に捻くれているだけなのかもしれないですね(笑)

もちろん、小野寺が結ばれなくて良かったなんて思っていません。好きなキャラクターが失恋よりもやはり恋愛が成就する方が私もみたいです。

でも、小野寺は失恋したけれど、それは何も残さなかったわけじゃなく、ちゃんと私達に訴えかけているものがあり、それはある意味何よりも大切なものではないかと思うだけです。

 

 

なんか少し熱く語りすぎましたかね。

まぁこれはさっきも申し上げた通り推論でしかないので軽い気持ちで見て頂ければ嬉しいです。

ま、それ以前にちゃんと伝えられてるかどうかわからないのですがw

ハイ

以   上