やな二郎

アニメ、マンガ、ゲームについて駄文をつらつらと書くだけ。主にニセコイ関係が主軸になるかと思います。

ニセコイを読んで考えること

今日古本屋でニセコイの古味先生の前作ダブルアーツを途中まで読んだのですが、

あぁこいつは面白い

と思いました。これは再連載を望む声が上がるのもわかるなと思える作品でした。

 

その反面ニセコイは終盤ひどい言われようでしたよね・・・。千棘を選んだ理由が理解不明

作者は漫画描くなとか色々、もう見てるだけで腹の立つ内容ばかりだったのですが、じゃあどうしてそうなってしまったのか、少し考えてみました。

 

一つの理由として考えたのが

ダブルアーツで通用した内容がニセコイでは通用しない

です。

 

ダブルアーツはバトル漫画ですから、もちろん主人公を魅力的に描いたりシリアスを入れたりってことは必要なのですがニセコイみたいにラブコメ作品ではないのでニセコイほど人間関係や感情、そしてヒロインの扱いがデリケートだったわけではないと思うので、あまり感情の描写や、極端な言い方かもしれませんが主人公とヒロインの扱いに気を配る必要もあまりなかったのだと思います。(全く必要ない訳ではないです。あくまでラブコメ作品よりも、という意味で) 

 

故に主人公の評価が極端に下がることもなかったのだと思います。まあダブルアーツ自体が打ち切り作品で連載期間が短期間だったというのもありますが。

なのでダブルアーツは古味先生が描きたい内容を思いっきりかけた。そんな気がします。

しかしニセコイの場合はそうはいかない。ファンタジー作品よりもにヒロインの扱いが非常にデリケートな作品なので、ダブルアーツではまだ許されていたことがニセコイではおかしく感じてしまう。例えば千棘の暴力の描写や居眠りキムチなどが挙げられるのではないでしょうか。

他にも、楽の千棘に対する心情の描写の難解さ(199話、200話の楽の語りの部分)や不足があると感じました。

 

確かに単行本を何度も読み返し、色々な方の考察を見て考えれば、楽が千棘を選んだ理由、本編で使われている言葉の意味というのはなんとなくわかってきます。そういった風に見ていくと、作品としてニセコイは非常に読み応えのある、いい作品だと私は思います。

 

しかしあまり含みがありすぎるのもいけないように感じます。ハーレムものの作品は一人一人のヒロインに熱狂的なファンがつきますから、より主人公の心情を多くの人がわかりやすいように細かく書かなくてはいけないと私は思うのですが、楽の心情の描写がいかんせんわかりづらかったり、曖昧すぎた気がするのです

そのせいもあり楽が千棘を選んだ理由が意味不明、という事態になってしまったのかな、と思ったりします。

 だから古味先生は最初の方で、「ラブコメは慣れていない」という表現をしたのかなあ、とあくまで個人の推測ですが、感じました。

 

ダブルアーツの様なファンタジーやバトルものでは作品を面白くするために重要なところをあえてぼかす、ということが可能だったのが、ニセコイの様なラブコメ作品では人の気持ちが本質なのでしっかり細かく書かないと逆に読者はイライラしてしまう。最悪誤解してしまうといったことがおこりうるのかな、とニセコイを読んで感じました(ここまで上手く言えてる気がしないw)

 

そういった意味で、ダブルアーツでは通用した内容が、ニセコイでは通用しないという表現を使わせてもらいました。

 

ここまで否定的な内容を綴らせていただきましたが、私は不満は色々あれど、ニセコイという作品は最後まで考察しがいのあるとても面白い作品だったと思っています。

 

もちろんこれだけが全てだとは思っていません。

他にも考えられることはあるのですが、それはまた次の機会に綴らせていただきたいと思います

 

他にも九州編など、散々な言われように対して色々思うところはあるのですが、それもまた別の機会にしたいと思います。